皆さんおはようございます。歴史担当の福崎です。 前回は奈良時代の梅はお菓子だったというお話でしたが、今回は鎌倉にタイムトリップしてみました。武家様のお屋敷をちょっと拝見〜。Д・) ソォー… お屋敷ではお椀(わん)に盛った飯に打鮑(うちあわび=のしあわび)、海月(くらげ)、梅干、それに酢と塩を添えたお膳があり、大勢で宴会をしていました。このようにお椀に上記のような料理を盛って振る舞う事を“椀飯(おうばん)振る舞い”と呼ばれ、現代でよく使われている大盤(おおばん)振る舞いという言葉のルーツになった鎌倉・室町時代のお武家様の供宴のメニューなんですって!知ってました? 歴史事典などを見ると「椀飯」の起源は平安時代にさかのぼるんですが、お武家様の行事として臣下が主君にごちそうを献上する儀式だった事で、古くは有力御家人や執権が将軍様に椀飯を献じ、室町時代には守護大名が将軍をもてなす形をとっていました。 椀飯は江戸時代にもありましたが、こちらは徳川御三家が老中や 旗本を供応したり、町奉行が配下を もてなす行事 でした。 という訳で、いつの間にか上の者が目下の 者にごちそうするパタ ーンに変わっていったんです。 それにしても、梅干って当時は貴重なごちそうだったんですね。 |
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