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古い梅干し

平安中期、984年に著された現存する日本最古の「医学書」に梅干の薬効が記載されていますが、 この時代に梅干が薬として使われていたことをしめす民間伝承に「申年の梅」があります。 960年の申年に都で慧姫が流行った時、病に臥した村上天皇が梅干を食べて回復したといわれ、 以来「申年の梅は薬になる」と伝えられてきました。 特にこの年が庚申だったことから、60年に一度巡ってくる庚申の梅が一層珍重 されるようになりました。 梅に託された人々の健康への願いが、千年以上の歳月を経て今に語り継がれてきた訳です。 ここに掲載されている南部川村に残る古い梅干の一粒一粒にも、こうした先人達の思いが込められていることでしょう。 江戸末期から平成にいたる南部川村に伝えられた古い梅干を通して、 梅干にまつわる郷土の歴史や、梅干の薬効を記した事柄をたどってみましょう。


日本最古の薬草漬梅干

■幕末:「古方薬議」に鳥梅の薬効が記載される
■明治10年:コレラが大流行し、梅干の需要がのびる
■大正14年:梅肉エキスの効能が記載された「赤本」が発行される



江戸末期の梅干

■文政10年:田辺藩が梅干業を統制下におき、藩に任命された梅商人が江戸へ悔を送る
■天保年間:埴出の浜口松次郎が販売川梅干の製造を始める


明治初期の梅干

■明治初年:片山六太夫が南部川村井出川原片山に梅を植える
■明治12年:内本徳松が晩稲に購入した山林に良種の梅を発見し、実生増殖する


明治中期の梅干

■大正5年:梅干製造の兼業農家が続出し、南部町・田辺町で梅干商組合が組織される
■大正末頃:南部町の山崎秋芳園が封じ梅を、上南部村の森五郎松が梅肉エキスをつくる


明治後期の梅干

■明治34年:内中源蔵が熊岡で4haの梅畑を開墾し、梅干加工場を設ける
■明治35年:晩稲の高田貞楠が内中梅の実生苗を植える



大正の梅干

■大正5年:梅干製造の兼業農家が続出し、南部町・田辺町で梅干商組合が組織される
■大正末頃:南部町の山崎秋芳園が封じ梅を、上南部村の森五郎松が梅肉エキスをつくる


昭和初期の梅干

■昭和6年:小山貞一が高田貞楠より穂木を譲り受け、南高の栽培の第一歩となる
■昭和22年:紀州本場南部梅干工業協同組合発足



昭和中期の梅干

■昭和25年:上南部村の優良母樹調査選定委員会が発足
■昭和40年:上記委貝会が最優良品種に決定した高田梅が「南高」として農林省に種苗名称登録される


昭和後期の梅干

■昭和48年:うめ総合実験農場設置。南部川村に全国初の「うめ課」が設置される
■昭和61年:南部川村梅加工開発センター完成



平成4年申年の梅

■平成元年:南部川村で2月11日を「梅の日」と制定
■平成2年:梅の栽培、加工の試験研究施設「南部川村うめ21研究センター」完成






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