日本最古の薬草漬梅干
■幕末:「古方薬議」に鳥梅の薬効が記載される
■明治10年:コレラが大流行し、梅干の需要がのびる
■大正14年:梅肉エキスの効能が記載された「赤本」が発行される
江戸末期の梅干
■文政10年:田辺藩が梅干業を統制下におき、藩に任命された梅商人が江戸へ悔を送る
■天保年間:埴出の浜口松次郎が販売川梅干の製造を始める
明治初期の梅干
■明治初年:片山六太夫が南部川村井出川原片山に梅を植える
■明治12年:内本徳松が晩稲に購入した山林に良種の梅を発見し、実生増殖する
明治中期の梅干
■大正5年:梅干製造の兼業農家が続出し、南部町・田辺町で梅干商組合が組織される
■大正末頃:南部町の山崎秋芳園が封じ梅を、上南部村の森五郎松が梅肉エキスをつくる
明治後期の梅干
■明治34年:内中源蔵が熊岡で4haの梅畑を開墾し、梅干加工場を設ける
■明治35年:晩稲の高田貞楠が内中梅の実生苗を植える
大正の梅干
■大正5年:梅干製造の兼業農家が続出し、南部町・田辺町で梅干商組合が組織される
■大正末頃:南部町の山崎秋芳園が封じ梅を、上南部村の森五郎松が梅肉エキスをつくる
昭和初期の梅干
■昭和6年:小山貞一が高田貞楠より穂木を譲り受け、南高の栽培の第一歩となる
■昭和22年:紀州本場南部梅干工業協同組合発足
昭和中期の梅干
■昭和25年:上南部村の優良母樹調査選定委員会が発足
■昭和40年:上記委貝会が最優良品種に決定した高田梅が「南高」として農林省に種苗名称登録される
昭和後期の梅干
■昭和48年:うめ総合実験農場設置。南部川村に全国初の「うめ課」が設置される
■昭和61年:南部川村梅加工開発センター完成
平成4年申年の梅
■平成元年:南部川村で2月11日を「梅の日」と制定
■平成2年:梅の栽培、加工の試験研究施設「南部川村うめ21研究センター」完成