紀州南高梅の歩き方
皆さんこんにちは!
福梅本舗のマスコットふくちゃんです。
梅干って皆さんお好きですよね?その梅干で一番美味しいと言われているのが紀州産南高梅です。
まず、紀州南高梅のイメージってどういったものですか?皮が柔らかい?粒が大きい?果肉が柔らかい?甘い?そしてもちろん美味しいしかし高級品。多分こんな感じだと思います。
確かに外れてはいませんが、これが全てではありません。もっと紀州南高梅を知って頂きたいと思いましたので、簡単にご紹介します。
おいし~い梅干しができるまで
福梅本舗のおいしい梅干しはこうして作られています。
とくに、福梅本舗だけの2段熟成が決めてです。
皮のやわらかさ
※皮のかたい梅は良い紀州南高梅とは言えません。
紀州南高梅の特長として、「皮がうすくてぽってり柔らかい」事があげられます。以前に、お客様より「紀州南高梅はもっと皮が硬いのでは?」というお問い合せを頂きましたが、紀州南高梅は皮はうすければうすい程、ぽってりとして果肉も柔らかくなります。それが良い紀州南高梅なんです。
※福梅本舗は皮の硬い梅干をお届けしません。
※ご家庭用として皮が薄くて破れた「皮ぎれ梅干」や
つぶれてしまった「つぶれ梅干」をご用意しております。
粒の大きさ
紀州南高梅の中にも色々な大きさの梅があります。
福梅本舗の人気商品「まろやか梅」は大粒・中粒・普通粒の3つのサイズの中からお選び頂けます。
また、超大粒はmehari_umeとして、小粒は限定商品でお客様にお届けさせて頂いております。
普通粒は「中間の大きさ」と覚えて下さいね。
種の大きさ
紀州南高梅の種は他の品種に比べて、種が小さいんです。皮が薄くて種も小さい。
だからぽってりとジューシーな肉質がさらに際立つんです。
紀州南高梅の種の特徴として、種の頭が尖っているものも多いのでお召し上がりの際にはご注意くださいね。
梅干しの塩分
梅干は元々20%の塩で漬けられます。
そこから塩分を抜いて調味されます。
福梅本舗の梅干は本来の塩分20%の白干梅から塩分5%の梅まで取り揃えております。
塩分が多いと酸っぱく、塩分が少ないと食べやすくなります。
でも、塩分が少なくてもお味はしっかりしています。
福梅本舗の梅干はたとえ塩分5%の梅干でも酸味と旨味のバランスが良いのでご飯にもピッタリなんですよ!
※紀州南高梅の美味しさは塩分だけでは語れません。
※福梅本舗は旨味・酸味・甘味を表示しています。
※その日の体調により酸味の感じ方は違います。たとえば疲れているときは酸っぱく感じます。
完熟梅と青梅
福梅本舗の梅干に使用される梅は黄金色に熟した完熟梅を使用しています。
青梅とはその名の通り青い梅です。
しかし、紀州南高梅の特性である紅色も入ります。
そして収穫後はどんどん黄色く変化して行きます。
一般的に青梅は梅酒・梅ジュース・梅エキスに使用され、完熟梅は梅干や梅ジャムに使用されます。
※福梅本舗の紀州南高梅の青梅は丁度中間の梅をお届けしております。
紀州南高梅の歴史
昭和四十年十月二十九日に登録第184号として「南高」は誕生しました。
名前の由来は地元の南部高校園芸科の生徒たちが協力した事もあり、南部高校と高田梅の頭文字をとってそう呼ばれるようになりました。
紀州南高梅の生育環境
どうして日本一美味しい梅干が出来るかというと、紀伊水道に流れ込む黒潮の影響を受けて温暖で梅の生育にぴったりマッチした気候です。
また、炭酸カルシウムを多く含んだ地層は、良質な梅の栽培に欠かせない中性質の土壌を保ちます。まさに梅の栽培にぴったりの自然環境の中、紀州の南高梅はすくすく育ちます。
和歌山県は全国の梅生産量の約60%を占めています。
歴史にも登場する梅干したち
梅干しは時代を超えて日本人に親しまれています。それは歴史を紐解くとわかるんです。
ではちょっとタイムスリップしてみましょう♪
奈良時代
梅干って日本独自の物ですが、その「梅」の名が日本の歴史において登場した最古の書物は『懐風藻』(751年)だとされています。
そこには 約1500年前、遣唐使が中国から日本に「烏梅(うばい)」というものを持ち帰ったのが始まりといわれています。
中国では「wu mei =うめい」と発音します。「うめ」の呼び名はそこから来たと言われています。
この烏梅とは、未熟な梅の果実を、薫製(くんせい)にしたもので、青梅を、カゴに入れ、かまどの煙で黒く燻して、乾燥させたものです。ちなみに、正徳2年(1712)に発行された図説百科事典の「和漢三才図会」に、烏梅が「脾・肺二経の血分の薬である」と記載され、インフルエンザを含む悪性流行疫病を治し、咳・熱を止めると書かれているんですよ。
平安時代
医学書に梅が登場したのは、平安時代の東洋医学の権威、丹波康頼さんが書いた医心方(いしんぽう)(984年)に梅が登場しているのですが、この本こそが、日本最古の医学書とされています。
その本の「食養編」には、「味は酸、平、無毒。気を下し、熱と煩懣を除き、心臓を鎮め、四肢身体の痛みや手足の麻痺なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いられる。
青黒い痣や悪質の病を除き、下痢を止め、口の渇きを止める」と効用が記されています。
遣唐使によって「烏梅」として伝えられた梅は100年後には薬として当時の名医さんもオススメのお薬になっていたのです。
戦国時代
戦国時代になると戦に梅干の果肉と玄米の粉、そして氷砂糖を練り合わせて作った薬を持参していました。
その名も【梅干丸 = うめぼしがん】といい、食中毒や水あたりの予防や治療はもとより、梅干の酸っぱさが喉の渇きを潤すのにとても役立ちました。
梅干は殺菌効果、玄米の粉は栄養、氷砂糖は飲み込みやすくするための配合の丸薬です。
江戸時代
小野蘭山という人が文化3年(1806年)に執筆した『飲膳摘要』(日本人の食べ物の百科全集)という書物には梅干しには7つの徳があると書かれています。
1.毒消しに功あり。ゆえにうどん屋は必ず梅干しをそえて出す。
(当時うどんは大変良く食べられていたため。)
2.防腐に功あり。夏は飯櫃の底に梅干し1個を入れておけばその飯は腐らず。
3.疫気を避けるに功あり。旅館では朝食に必ず梅干しを添えるを常とする。
4.その味かえず。
5.息づかいに功あり。走る際、梅干し1粒口に含めば息切れず。
6.頭痛を医するに功あり。 婦人は頭痛する毎に梅干しをこめかみに貼るを常とする。
7.梅干しよりなる梅酢は流行病に功あり。
と、書かれています。中国には医食同源と言う言葉がありますが、日本でもそんな考えが根強く浸透していたのでしょうね。
明治時代
時代は明治時代へと移り変わります。時は明治27年、日清戦争が勃発。軍医である築田多吉(つくだたきち)さんという方が外地で伝染病にかかった兵士に梅エキスを飲ませて完治させていたと言うのです。
信じられないかも知れませんが、本当のお話です。この築田多吉さんは通称、「赤本」と呼ばれている「家庭に於ける實際的看護の秘訣」なる家庭医学の本を執筆した人なんですよ。
「赤本」は戦前に生まれた日本人ならまず知らない者はないというほど、有名な本らしく、大正十四年の創刊以来、1000万部を優に超えている、超べストセラー。
ひと昔前、日本の各ご家庭には越中富山の置き薬が置かれていたらしいのですが、その置き薬と同じように「赤本」も一家に1冊置いていたようです。現在のように医学もそれほど発達せず、結核が死の病といわれ、また、健康保険制度も整備されていない時代だったから、「赤本」は庶民の強い味方だったんです。
そんなすごい築田多吉さんだから、梅エキスで伝染病を治したと言うのも確信できます。医薬品でもないのに病気を治す力がある梅って本当にすごいですね?!
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